「おじいちゃん、おばあちゃんは、同じ話ばかりで全く、困る・・・」なんて言うことを感じたり、誰かのコメントとして聞いたことはないですか?
私は最近思うのです。おじいちゃん、おばあちゃんが語る思い出は、自分自身の中で最も輝いているキラッキラの思い出なんだと。
だから、常に思い出のインデックスの一番前にあって、それを引き出して語り、その当時の感覚に身を投じる。
その「過去の瞬間」で生き生きと当時の自分が再生されているんじゃないかと。
自分のことに例えると、40数年生きてきて、全ての時を満遍なく覚えているかと言うとそんなことはなくて、物凄い差がある。
ハッキリと覚えている輝ける思い出って、自分が脇目も振らずに「その時」と言う「瞬間」をがむしゃらに生きていた時期です。
他の抜き取ってくる思い出は断片的でぼんやりとうろ覚えなんだけど、がむしゃらの今を生きていた時は、時系列も細かな出来事なども鮮明に、今、目の前で起こっているかのように語ることが出来る。
おじいちゃん、おばあちゃんの思い出話を聞いていると、「ああ、この時、この人は本当に瞬間瞬間を懸命に味わって生きていたんだなあ」と胸が熱くなるのです。
思えば、結婚して息子が生まれてしばらくは、「今」この時よりも、先の先の遠い先の未来ばかりに意識を向けて、空回りして生きていた気がするのです。
そして、悲しいかな、その頃の貴重な思い出、
いくつもの息子の初めて、私の初めて、家族の初めてを鮮明に覚えているとは言えないのです。これは、本当に残念なことです。
「今を生きる」って色々と諸説言われますけれど、本当に大事なことなんだと実感しています。
私は今、日々思い出す様々な人生の出来事をその都度書き留めています。ある思い出は時間の経過と共に不鮮明になっていくし、ある思い出はもしかしたら、いつか記憶の表面に浮かび上がって来なくなるかも知れない。
自分の人生の出来事は、どんなことであっても大切で煌く宝物。その宝物をひとつひとつ、宝箱の中に閉まっていく、
儚く薄まった壊れてしまいそうな思い出を、そっと両の掌でそっとすくい上げる、
それが私にとって「書き留める」という作業そのものなのです。
これから何十年も時を重ねていく中で、私はどんな時でも「今、この時」に立ち続け、人生の全ての瞬間を輝く思い出として記憶しておこうと思っています。
今日は、大切な人との大切な思い出を書き留めようと思います。
2020年七夕にて
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