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執筆者の写真中島未来

<自らの人生をかけてジャックが教えてくれた、絶対に忘れたくない大切なこと>



かなりの私ごとですが、9月5日の土曜日に、13年と9ヶ月を共に暮らし、共に過ごした愛する犬のジャックが旅立ちました。

心臓を始め、身体の何箇所かに不調があったジャックは「完全に健康」というわけではありませんでしたが、それでも毎日を穏やかに過ごしていました。予測していなかった、急なお別れでした。




心をえぐられそうな出来事の中で、私は一生物の宝物をジャックから受け取ったことに気がついたのです。

そして、それは私が独占するものではなく、沢山の人にも知って、手にしてもらいたい。そう強く感じました。



ジャックが私に残した気づきという宝物は実はたくさんあったことに急に気づかされたので、それをこれから綴っていこうと思っています。




ジャックにいくつか病気が発覚し、辛そうな時、苦しそうな時、「元気だったら、どれほどいいか」と思っていました。



どれほどいいかというのは漠然としているけど、健やかな状態は本人には楽だし、

心配しないでいられる自分の気持ちも楽だから、そう思っていたんだと思います。




ジャックの健康状態の心配が「後どれだけ一緒にいられるんだろう、どれだけ長くジャックは苦しまなければならないんだろう」という命の期限に及んだ時、死を意識することがどれほど面倒をみる側にも堪えるだろうと感じた。



元気になってくれるか保証のない不安、回復するかどうかの焦り、回復しても完治はしない現実への切なさ、死に向かって1日1日近づいていくような恐怖と絶望感。こういう気持ちと、どう折り合いをつけているんだろう?と。

でも、この考え方全く違っていました。




ジャックが亡くなり、強烈に分かったことがある。それは、お互いが万全でない時、例えば健康に不安がある時や、悩んでいる時、

喧嘩している時などでも、お互いがお互いのことを想い一緒に過ごしていること、心を寄り添わせているというその現実が、どれほどかけがえのない幸せなことなんだろうかということ。




相手のことを心配し、想い、何か行動すること、それがどんなに小さなアクションであっても、日常的な行為であっても、それがどれほど自分のことを幸せにしているのか、私はジャックとの別れまで気がついていなかった。




生前のジャックに、いつものようにご飯を用意したりお散歩したり、時には家でお風呂に入れてあげたり、抱きしめたり、

肉球の匂いをかいでふざけたりしている、その時間、その行動、その想いが、どれほど幸せなことだったのかを、苦しいくらいに痛感したのです。



もし、あたなが誰かの健康のことや、ご飯をちゃんと食べているのかとか、ちゃんと眠っているのかとか、幸せでいるかどうかとか、

そんなことを気にしている時、あなたは確実にその人のことを大切に思っている。

間違いなく、その相手のことを愛している。



誰かと過ごす楽しい時間だけが価値あるわけじゃなくて、大切に思う人を心配したり心を砕けることが、本当に本当に幸せなことであり、

幸せな時間であり、掛け替えのない宝物なのです。



一緒にいる時間の終わりが目の前をかすめた時、それは苦悩の始まりであり、絶望だと私は思ってました。でも、それは違っていました。

大切な誰かがいてその人と過ごせること、その人を想うことが出来ること、その人のために何か出来ること、その人の心を感じること、

それが喜びであり、希望であり、幸せなのです。


来るべき時に来る別れの瞬間を恐れたり、絶望に苛まされたりすることは必要なく、今という瞬間、瞬間にどうやって一緒に楽しくなろうか、どうやって一緒に幸せを感じようか、そう考えた方がどれほど有意義な時間になるか分かりません。



私はジャックが置いていってくれた、プレゼントのようなこの気づきを自分の心の中心に置いて、思いやりや慈悲、愛を注ぎ大きく育てていこう、自分の人生の指針にしていこうと思います。



「大切なのは良い時、楽しい時だけではなく、心を寄り添わせお互いを想いあい、一緒に過ごす時間」私は、この宝物があれば、どんな人でも、どんな境遇にある人とでも、人生を何があっても幸せに生きていかれると確信しています。


ジャックが人生を費やして私に教えてくれた、大事な気づきのひとつです。この気づきが自分の中に浸透するにつれ、心に湧き上がっていた悲しみや寂しさ、後悔や罪悪感が、出逢得たことへの感謝、ジャックを通して知り合い繋がった人たちへの感謝、かけがえのない日々への有り難さに変換されていきました。



生きているもの同士であれば、必ず別れの時がやってくる。出逢いには必ず、大切な理由があります。それは相手が人間だけに限らない。



かけがえのないお互いの人生の中で、お互いに差し出しあっている宝物に気が付けますように。









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