愛犬の旅立ちは痛みと悲しみを伴いましたが、
同時に重要な気づきを沢山もたらしてくれています。
瞑想の重要性も、沢山の気づきの中のひとつでした。
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<私を救ってくれた瞑想>
(やっぱり瞑想は凄かった)
9月5日に最愛の犬ジャックを失ったその瞬間から、後悔や自責の念や痛み、
悲しみの大洪水に襲われて、涙が止まりませんでした。
泣いて泣いて、また泣いて、3時間ほど経ってまず始まったのは強烈な頭痛。
今まであまり感じたことの無いような、未体験の痛み。
こめかみをすごい力で締め付けられるようなズキズキした痛みが頭頂部まで走っては、
またこめかみを締め付ける、耐えがたい痛み。
痛いのに、泣くのを止めることが出来ない。悲しみを洗い流したいのに、
その涙を流すことを自分自身の身体が許可してくれない。
頭痛に身悶えしながらもベッドに突っ伏して泣いていると、今度は息苦しさに襲われました。そして、息苦しさと同時に、今度はみぞおち辺りに不快感が現れて、吐き気に襲われる。
心の痛みと身体の痛みを同時に抱えることで、私はその時「病気になってしまいそう」と感じました。
自責や後悔の念は、自分の心を傷つける。
心の強烈な痛みは、身体を痛めつける。
ただただ「悲しむ」という行為が、これほど自分自身を蝕んでしまうことに私は本当に驚きました。
大事な人を失った時に湧き上がる、自分を責める気持ち、後悔の念、贖罪の気持ち、
そのひとつひとつが刃になって、自分の心を切り刻む。心が切り刻まれ始めると、身体が影響を受け始める。
あまりにも大きな悲しみを抱えると、人はこうして病気になってしまうんだ・・・・
痛む頭を抱えながら、私はぼんやりとそんなことを考えました。
同時に、「このままじゃいけない。病気になってしまってはいけない」という思いが湧き上がって来たのです。
ベッドにうずくまったまま、私はなんとか呼吸を整えようとしました。
まだ頭が痛い、みぞおちが苦しい。吐き気がする。苦しい、苦しい!
思考を止める。止める努力をする。
呼吸をすること、頭の中を真っ白い色に染めることに集中する。
思考はしない。行動を主体に、心を静める努力をする。
しばらく強烈な頭痛は続き、みぞおちから湧き上がる吐き気を止めようと、ベッドの上で
うずくまっていました。私自身の精神が、心と身体を同時に痛めつけている。
とにかく心を落ち着けよう、そう思いました。
痛みを感じているうちに、その痛みがだんだん遠のいていく。意識が薄れていく。
1時間後くらいに、私はふっと目覚めました。涙を流し続けた目から上、こめかみも含めて
頭全体はボーッとしているけれどもう痛くは無い。
吐き気は?吐き気もなんとか治っていました。
息苦しさも緩和されました。
だんだん我に返ってくると、またあの現実が蘇ります。
「私の大事な大事なジャックを亡くしたんだ」
そのことを意識すると、また胸が苦しくなる。悲しみに襲われる。
そしてまた瞑想を試みる。そして、明け方近くにやっと浅い眠りに
つくことが出来ました。
私は瞑想信奉者であり、瞑想推奨者です。
瞑想に即効性を求めることは難しいですが、
今回のことで実感したのは、継続的に瞑想をしていることで、
必要な時に確実に効果をもたらしてくれることです。
心が落ち着けば、思考を整理する余裕が生まれます。
思考を整理しても、心は整理出来ません。
心を落ち着かせ、心に向き合えるように整えてくれるのが瞑想です。
瞑想は、未知なる新しい世界へ向かう際の必須の習慣だと思います。
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