私は、若い時の方が自分の置かれている状況や環境を「変えたい!」と強く思っていることが多かったのですが、どうにもこうにも変えられないことが多かった。
変えられない、変わらない時、それがどんな状態だったか、今ならよくわかります。
ほとんど全てのことは、「自分の責任ではなく、私以外の誰かの責任」だと思い込んでいた時。
家庭での悩みも、友人との軋轢も、恋愛で被る痛みも、
孤独感に締め付けられる悲しみも、ほとんど全ての原因は、自分ではなく他にあると思っていました。
原因、加害者、被害者という論点ではなく、ものごとが変わらない理由はもっと違う部分にあることに気がつきました。
それは、最終的には自分がどう行動するか決定しているのに、そのことを自覚していない問ということ。
何かをするにしろ、しないにしろ、それは自分が「そうしている」のです。
でも、はっきりと自覚して、意識して、全ての行動ができている人は、あまり多くないと思います。決める前に行動している場合もあるし、その場合は半ば無自覚に動いています。
誰にどんなアドバイスを受けたとしても、どんな世間的一般論が耳に入ってきたとしても、最終的にどんな行動に出るのかを決めたのは「自分自身」。
こんな言い方をすると贅沢ですが、出来事は全て「自分のために起こって」います。出来事から得られることは、全て自分の人生の糧です。
どう行動するかを決めることはタネを撒くこと。
撒いた種からは、必ず何がしかの結果が実る。
日々、自分の周りに繰り広げられる現実は、撒いた種からの実り。実りを変えるには、撒くタネを選別する必要がある。
実りを変えることは、それほど大変なことでも、大掛かりなことでもありません。でも、とても大切なのは「自分がタネを撒いているという自覚」です。
私自身、自分がタネを撒いているんだということを、嫌でも自覚した時から、出来事が変化するようになりました。
自分がタネを撒き、育て、実りを促進している。
誰かが撒いてる訳でも、誰かの実りを押し付けられている訳でもないんですね。
都合のいい事は、「そう、私がやりました!えっへん」と言いたい。都合の悪い事は、誰かの責任にする方が楽なように思います。でも、人は、そんなに弱くない。
自分の良い部分も、都合の悪い部分もちゃんと認められる強さを持っています。
人生は、自分自身で変えられる。自分の全てを直視する勇気さえ持つことができれば。
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