親友が逝ってから、もう6ヶ月が過ぎようとしている。
6ヶ月って半年だ。1年の半分。
昨年、親友が病を克服しようとしていた1年を見ていて、
1年間という時間の経過を強く体感していた。毎月毎月の記憶が鮮明に残っている。
あの1年を思うと、半年という時間がどれだけ尊いかと感じる。
去年の今頃、親友は元気だった。生きるために、翌年も、そのまた翌年も同じように日々を過ごすために、人生という年月を重ねるために、病に正面から向き合っていた。
ある時、親友は自分は結婚に向いてないと言っていた。
結婚しないとほのめかしながら、旦那さんと出逢い結婚した。
そして、諦めていた子供たちを授かって、楽しくも懸命に子育てしていた。
親友と一緒に写る写真を見つける度に、彼女が今、いないことが本当に不思議に感じる。おばあさんになっても、仲良く集まって楽しく話をしているつもりだったから、一緒に歳を重ねるつもりだったから、それが出来ないことが不思議で仕方がない。
私が過ごしている今日は、彼女がなんとしてでも生きていたかった「今」という時間なんだと、私はことある度に思う。
親友が積み重ねられなかった時間を、私は今も生きている。
親友のこともそうだけれど、予測不可能な現代で、
私は、毎日を自分が本当に望むように生きることが、どれほど大事なことなのかをひしひしと思うようになった。
自分の心が躍るような、心が震えるような生き方をしないなんて、本当にもったいない。
毎日に中に、惰性を感じる瞬間があった時、私はいつも親友を思い出す。
彼女が生きたかった今を、私は全力で大事に時を重ねようと思う。
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