新型コロナウィルスの出現は、それだけが突出して問題な訳ではなく、
逆に、コロナウィルス出現前からずーっとお座なりにされていたことが
数珠繋ぎに浮き彫りになる機会だった。コロナが出現しようがしまいが、
人間の生き方が地球という、こんなにでっかい物に影響を波状攻撃的を
与え続け、目に見えづらい生き物から人間よりも大きな生き物まで、
恐ろしい数の生態を絶滅させて、とうとう1年の間に何度も何度も、
人間の生活を脅かす自然の脅威がやってくるというサイクルに陥っている。
「経済の立て直しを!経済の立て直しを!」という想いが、巷には渦巻いているけれど、
私は私の脳に問いかける、「経済って、誰のために、どう世の中を動かすことなんじゃいな?」と。
経済って大きく括ってしまうと、正直言って正体が分からなくなる。
申し訳ないけれど、一番目に付くところに焦点を絞って注視すると、
「特定の人間が、限られた利権を死守して、甘い汁を貪り尽くす」という実体しか見えない。日本に限らず、海を挟んだあの国や、あの国だって、こっちが恥ずかしくなるくらい
政治的、社会的に高い地位にいる人間が、自分たちだけ良い思いをするため、
自分たちが世界を牛耳っているんだと越に入りたいがために、法律をいじくり回して、
正当な意見を持って立ち向かう相手に対して、圧力と暴力で抑え付け、黙らせる行為を堂々と行っている。こういうことがまかり通っている世界って、正直こんなふうに表現出来そうだ「終わってる」って。
子供たちだって、メディアが報道する内容にきっと呆れてる。「大人ってくだらない。大人になった世界がこんなものなんだったら、大人にいる意味が分からない」そんなふうに感じているんじゃなかろうか。
変化球つけても、ひねりをつけても、嘘は嘘。まかり通らないものは通らない。
「嘘をつくな」と子供たちを諭す大人は、公の場所で公然と、または焦りに引きつった顔で
それでも嘘をつくのだ。
選挙で選ばれた特定の「誰かさん」にも、不特定の「誰かさん」にも、常々聞きたいを思っていることがある。「あなた、どうして議員になったんですか?あなたが目指す未来は、進む世界はどんな世界なんですか?」と。ワイロまみれの議員が記者の質問にこんな風に答えていたっけ「世界を変えるために議員になったんです」 世界を変えたい人って、ルールを破ってお金で人を貶める行為を平然とするんですねって、本当にシニカルな笑いが自分の口からこぼれ出た。世界を変える前に、自分の性根を変えなさいって。スタート地点に立つ前からルール違反する人って、そもそもレースに参加する以前の問題です。
私は様々な媒体を通して、国会やら、政治家の活動場所が一部見ることが出来る。
媒体の中にいる向こうの人たちは、こちら側の景色が見えているんだろうか。
まるで、昔のテレビ番組の時代劇みたいだ。城下のことが分からないお殿様やお姫様は、
返送してわざわざ城下まで来るんですよ。
毎日、自宅のお風呂に入っている人に、お風呂屋さんに毎日通う人の日常は見えない。
なぜだか議員になるために日常知らない新天地に現れて、「私はこの街のため、
ここに住う人たちのために尽力します」って、一体何するために現れたのか分からない。
でもね、適任者を選べるように、みんなが投票する権利を持っているんじゃないのか。
「権利」って、面白い。その貴重さや、その重要性を知っている人には光る宝石であり、
力強い鉾であり、重い重い価値のあるもの。でも、それを知らない人には、目の端にも入らない、自分の通った後に落として来てしまうくらいの扱いを受ける。
権利を繰り出すのであれば、合わせて自分の責任、決断、行動が伴うということを
推して知るべしだと思う。
今までの世界は、誰かの依存しても、それなりの恩恵を受けて、安穏と生きていかれる世界だったんだろうと思う。でも、今、自分が既に立っている世界はもう以前の世界とは全く違う世界だ。
何事も、自分で考え、自分で答えを見つけ、決断し、行動する。そういう世界。
政治の頂点、頂点近くで、日々表舞台に立ち、私たちに「考え、決め、行動する」ことを求めているじゃあないですか。そして、既に自分以外の誰かは、自分の人生を保証も出来ないし、次の行動も、未来も決めてはくれない。責任も持ってはくれない。
特定の誰かに、全てを依存すること自体が無理な話だ。
でも、人が集まり、自分の出来ることを出し合えば、なんでも出来る。
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