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執筆者の写真中島未来

<コロナは関係なく 自分の前にある問題が本当の人生の課題>

仏教、仏の教えを知りたいと強く思うようになり、大切な友人に

「誰か在り方、生き方の素晴らしい僧侶の方を知りませんか?」と聞いてみたら、

早速ご住職とのオンラインでの時間をセットアップしてくれました。


初めてご紹介頂いたご住職がこれまた大当たりの素晴らしい人で、

嬉しく、驚きの1日となりました。


で、オンラインでのお話タイムを経て、今現在の自分の想いなどを、

後々確かめられるように書き留めておこうと思ったのでした。


想いはコロナ感染に浮き彫りにされた、今の世界のことです。



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<コロナは関係なく

 自分の前にある問題が本当の人生の課題>



ご住職と友達と話ができた時間、私は自分が現在まで、

自分に起きる出来事がきっかけになって、自分の内側を深く分け入って探求して見つかった真実が、

これからも信頼出来るもので、

自分が良いと判断した在り方、そこから生まれる生き方で進んでいけばいいんだと

確信できたことが、本当にありがたいことでした。



自分の考えが正しいとか良いとか、そんな話では全くありません。

私が信じて歩もうとしている人生が、

私が道しるべにしたい仏様の説いている教えの道に沿っているようだと

いうことが分かっただけに他なりません。



ここ最近、コロナ感染の第3の大きな波が来ていると連日メディアで取り上げられ、

日に日に恐怖感や焦燥感が日常に広がって来ている感じがするのですが、

その一方で、特に感じることもなく、以前と同じような状態のものもあります。


世の中から流れ、語られる事柄は、今年の初め頃と同じように聞こえます。



短い間に様変わりした世界が私たちに問うているのは「手洗いうがいをしましょう」とか、

「外食、旅行をしばらくは我慢しましょう」とか、

そんなことでは全くないと思うのです。



夏が過ぎて感染が収まって来た頃、長いこと我慢したんだ!とばかりに、

日常どころか非日常を満喫しよう!経済の流れを復活させよう!という動きになり、

制約の少なかった「幸せな以前の世界」が戻って来たようにも見えました。




でも、私自身は全くそんな風には感じていないし、新型コロナ感染が始まる前と、

今と、世界に現実にあった「みんなで 向き合う課題」は

そのままで世界に鎮座し続けています。



そして、世界規模に感じる壮大な課題を考えたり着手する前に、

自分自身と向き合うことが先なんではないのか、私はそうも思っています。



現況、コロナが蔓延、拡大しているのは、外食を控えるとか、

旅行を我慢しなさいとかそういうわずかな側面ではなく、

好きな相手と旅行をしたり、食事をしたりするのもままならず、

握手も、ハグも出来ないのは、

「自分という完全なる単体になって、自分の思考、在り方、

想いと向き合って、見つめなさい」と

示唆されていると、私は受け取っています。



どんな状況の人が最も不幸という、不幸せの比較も必要ない。



例えば、高齢の大切な両親に会えないとか、

余命幾ばくもない大切な人に会えないことが最も苦しいことだとかそういうことではなく、

全ての人が満遍なく、様々な状況によって

以前と比べると苦しく感じる状況に置かれています。



私は自分にもたらされた不便だったり、不自由な状況を受け入れた上で思うのは、

不幸だとか、苦しい状況の全てがコロナでもたらされた訳ではないということ。



コロナによってやって来た苦しさもあると思う。

コロナ以前からあった苦しさもある。



コロナの前からあった苦しさは、人生において、

じっくりと向かい合い、心に落とし込んで深く試行して、

学び、気づき、成長するための、大事な学びの機会として、

今までも自分の目の前にあったこと。



家庭内で過ごす時間が増えたからストレスが溜まって苦しいのではない。

家族が、夫婦が、親子が、お互いに自分のものとして持っている

学びの機会が顕在化しただけです。


全ての人が同じ条件ではないこともよく分かっての見解だけど、

親子3人、愛犬1匹(コロナに対処するステイホームの時期)で

3畳を欠く一部屋がついた1DKで生活する私には、

いくつかの部屋、それぞれの部屋がある家で、

ストレスが溜まる、

喧嘩になる、

息が詰まるという感覚が出てくること自体に、

日頃の自らの思い込み、否定、分離分断などが

大きく絡んでいるんじゃないかと思っています。



ストレスが溜まるのは家が狭いのでも、

いつもは一緒に居ない家族が長時間一緒にいるからではなく、

自分または家族に対して持っている「これはこうであるべき」や

「こうであることが好ましい」「こうであってはいけない」という

思い込みや偏った考え方が自分の内側を占めていて、

その結果出来上がる現実がストレスに変化している。



コロナ感染が無くなっても、自分の中、

家族の間にある課題は目には見えないだけで、そこにあり続けるのです。



誰がどんな事例をあげてそうではないと否定したり、説得しようとしたとしても、

私は今この現在、コロナ感染が世界に影響を及ぼさないようになるには、

多くの人たちが自分の中にある思考、そこを拠点に出来上がる自分の在り方に向き合って、

自分または自分の周りの人たちが快適に生きることを強く追求することに疑問を持って、

世の中全体に意識を向けることが、まずはスタートだと思っています。



自分に起こっている出来事、自分を苦しめている現在は、

コロナが全ての原因ではない。

その根源的な原因は、前から自分の目の前にあったのです。



感染を恐れているけれど、非日常を望んで自分の欲を満たそうとはしていないか?


外に出て買い物が出来ないからと、オンラインでの買い物で

フェイクのストレス発散をしていないか?

コロナ以前から言われている「地球の限られた資源を使い、作り、購入し、捨てる」

消費行動を再開していないか?



現在の生活を送るには十分なものを全て持っている現実の中、

これから手に入れようとしているものは本当に必要なものだろうか?



家にずっといることが、本当に自分にとってストレスなんだろうか?



旅行に行くことは、本当に自分が望んでいること?


旅行に行くとストレスが発散されるの?

それを本当に身体で感じている?




コロナが終わって、以前の生活が戻って来たらまた幸せな気持ちになれると

想像するかも知れないけれど、

ずっと前から自分を幸せな気持ちにする大切な人、環境、物は、

既に自分の目の前に、

自分の手の中にあったんじゃないのだろうか?



自分を取り巻くありとあらゆるもの、出来事、心の動きに、

細心の注意を払って問いかけてみて欲しいと思います。

「私が今思っていることは、それは真実なんだろうか?

私は本当にそれがしたいの?

それは本当に大切なことなんだろうか?

その行動は、誰かを悲しませたりはしないのだろうか?」と。



私は自分の脳にも心にもしっかり刻み付けたい。

今、問題に見える出来事は、コロナ出現の前からあったものだ。

見えなかったもの、見ないフリをしていたもの、見ても目を背けていたもの、

そいういった学びの機会がはっきりと見えるようになっただけなのです。



大切なのは、自分で考え、自分の本当の答えを手にして、それを行動に移すこと。



誰かが決めたことに無意識に従うんではなく、自分で考え、感じて、自分なりの答えを実行すること。



新しい世界で絶対に必要だと思うプロセスです。





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