「あー、人生上手くいかない。将来の不安や心配事ばかり。
人生って、こんなに困難ばかりなのだろうか」
そんな風に思ったり、落ち込んだりすることは
きっと誰にでもありますよね。
私もそういう気持ちになる日、そんな気分になる夜は数えきれないほどありました。
ふっと気を抜くと、不安や心配というエネルギーに引っ張られそうになる時もあります。
でも、果たして自分に不安や心配を与えることは
真実なのでしょうか?
私は、どんな現実も「自分の選択であり、選択の結果である」ということを知っています。
それに気がつくことが出来るようになったきっかけは、海外に住んだ時に沢山ありました。
あの時のことを思い出すと、選択と決断、実行の連続でした。
それが、自分の生まれた国、日本に住んでいたときよりも、
意識的であり、かなりのスピードで一連のプロセスが進んでいました。
簡単に言えば、選択、決断、実行の間に時間の猶予が無かったのです。
日本を離れて海外で暮らすことを、沢山あるであろう選択肢の中から私は「選択」し、
行くことを「決断」し、実際に「行動」に移しました。
特に「決断」すると、必要なことを「行動」しなければならなくなり、実際にその選択が現実になります。
そして、ここに必ず起こる不思議な現象が、必要なリソースが必ず用意されるという奇跡です。
私が海外移住を一度考えたとき、実は年齢制限で諦めなければなりませんでした。
諦めきれなかった私は、他の方法を探していました。
その時に、一度は自分の目の前に立ちはだかった「年齢制限」という問題が解消され、
私は晴れて自分の選択を実行に移すことが出来ました。
日本を出て、目指す国についた時、私はそこで仕事を得るということを選択して決断していましたので、
着いてすぐに就職活動という行動に移しました。
そして、自分のやりたかった仕事に就けるチャンスを手にしました。
他にも、住まいを都心部から離れたリゾート地から市の中心部に移すと決めると、シェアメイトとシェアするおうちが見つかり、荷物を運んでくれる友達も見つかりました。
自分に必要だと思ったこと、自分がやりたいと思ったこと、その全てを常に選択し、決断し、行動に移す。
もちろん、その工程は全てが順風満帆で楽チンで、ハッピーなことばかりではありませんでした。
泣くほど辛いことや、歯を食いしばって頑張る必要や、諦めずに続けることも同じように交互にやって来ました。
あの時に、私は生きるということはこういうことなんだということに気がつけたと思います。
もっとも財産になったのは、自分の中にある力強さ、粘り強さ、最後は必ず上手く行くと信じる強い信念を見つけ、引っ張り出すことが出来たことです。
沢山の人に助けられ、尚且つ、自分の足で立つということが出来ることを知った時、
私は自分の中に太くしっかりした「自分軸」があることをはっきり自覚出来ました。
きっと、日本に居る誰しもが、海外で生きることになった時に同じように自分の中の強さを見つけ、発揮できると思います。出来ないのは、日本に住んで居る場合、その必要さを感じられないからです。
海外に住んでいた時、私にとって選択も決断も行動も、止むを得ずという側面がとても強かったのです。そうするしか無かったというケースが多かった。
自国で生まれ、自国で生活するということは、ほぼあらゆる権利やサポートが保証されているということです。
母国に居ようと、海外にいようと、自分の中にしっかりとした軸があることに変わりはありません。
だから、私が海外で出来たように、自分の想いや感覚、信念を大事にして生きることは母国でも出来ます。
出来ないのは、出来ないと思い込んで居る自分がいて、出来ない=やらないという選択をし、決断をし、何もしないという行動をして居るからに過ぎません。
環境とは結構怖いもので、人間にとって非常に影響力を持っています。恐怖と不安が蔓延する日本にいると、まるで自分も無力であるかのような感覚になっていきます。
本当は、海外で暮らすよりも、もっともっと楽に生きられるのです。仕事もある、保険もある、家族だって友人だって、恩師だっています。
何も恐れる必要はないんです。
海外での、あの日々を思い出す時、私は当時の自分を思い出して力が湧いてきます。
どんな現実も、どんな未来予測も自分の選択です。
そう思い込んでいるのです。思い込んで、信じている現実が目の前に繰り出されているだけです。
どんな瞬間も、どんな日々も、どんな人生も選ぶことが出来ます。常に自分次第なのです。
人生を動かす3種の神器、それは
選択
決断
行動です。