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執筆者の写真中島未来

<誰かの役に立つために>


会社の中、社会の中で 自分の役割が何かを自問自答している方が とっても多い気がします。 私が以前よく、そしてついついやってしまっていたことが、 意識もアクションも外にばかり向けるということ。 どういうことかと言うと、 家族よりも、家族以外の人に 比重を置いてしまうということです。 いい意味で言えば、博愛主義。 でも、自分の家族を大事に出来なくて、 博愛も何もあったもんじゃないですよね。 コアな人間関係よりも 外の人間関係に重きを置く、 外の人間からの評価を気にする、 そうなってしまう時、いくつか理由があります。 「家族は自分を理解してくれている、受容してくれている」 「家族の関係は、ちょっとやそっとじゃ壊れない」 という認識を持っているということ。 そして、家族以外の(本当は自分以外の人は、ですが) 人たちからの評価に価値があると思っている。 この2つが大きいと思います。 社会的評価などに価値を置くのは、 長いこと続いている教育や、社会通念です。 それと、会社に属するということは、 必ず、誰かが自分を評価してお給料も 何も全てが決まってしまうからです。 しかし、コアな人間関係が上手くいかないと、 コアよりも外の人間関係はスムーズに行きづらい。 少数の人を幸せに出来ないのであれば、 不特定多数の人を幸せには出来ない。 私は、幼少の頃に家庭環境がドラマに出来そうなほど波乱万丈でしたが、 自分自身が成人し、家庭を持ったのにも関わらず、 家族のケアを長年おろそかにしていました。 そういう時、 他のことも、上手く回らなかったなあと 記憶しています。 過剰に気を使わない関係、環境は、 もちろん必要だと思いますし、 あって好ましいものだと思います。 ただ、家族だから、相手の想いを考えないのは違う。 私がよく使う方法なのですが、 例えば、夫、息子の身体に自分が入る想像をして、 彼らの視点で私自身の日頃の行動を 見てみます。 夫が一生懸命料理をしているそばで、 手伝わないで仕事を理由にPCを叩いている自分、 話しかけているのに、上の空で息子の話を聞いている自分。 彼らの目線でみると、 その行動が、いかに好ましくないか よく分かるのです。 よく、社会的に「自分以外に代わりがいないような重要な 仕事をしたい、見つけたい」と聞きます。 でも、自分でなければ出来ないことは既にあって、 それが母としての自分だったり、 妻としての自分、義理の娘の自分だったり するんです。 社会なんて、どんなポジションでも 必ず代わりになる人がいます。 でも、 妻、母などの自分は、 代わりはいないと。 自分の価値を決めるのは、 どれほどの人数から必要とされるかではなく、 どれだけの人に愛を注げるかだと思います。 自分にも、 家族にも、 そして周りの人たちにも。 愛を注ぐことは、シャンパンタワーのようなものです。 一番上、自分が満たされ、家族、親戚、友達、同僚・・ どんどん、愛が注がれていく。 愛を創り出すのも、宇宙と共同創造する自分自身。 自分にも、 家族にも 十分に愛が注げているか、 見直してみる時も必要ですね。


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