「長ーいトンネルを抜けたら、
そこは明るい天国でした。なんて、
そんな気分です、今」
と言って頂けたこの嬉しさったら・・・・
誰かと一緒に自分の中を探っていくプロセスを踏んでいると、
自分の過去の経験などが、相手の気づきのきっかけに繋がったり、
それがまた自分の気づきに繋がったりという
とんでもない相乗効果というか、化学反応が起こったりします。
そして、結果的に私も、
トンネルを抜けて、明るい開けた花の咲き誇る場所で
座っているような気分になりました。
そのお客さんと私の中にあった共通価値は
「競わない、争わない」でした。
でも、男性でもあり、企業、社会で働く彼にとっては
今までの人生はずっと「誰かとの競争」でした。
ライバルを意識して、勝ち負けを気にして、
うんざりとした嫌気をずっと感じ続けて、
それでも自分を奮起して生きる。そんな日々だったそうです。
セッションの最中、
「中島さんには、競争心とか、そういう感情は存在します?」
と聞かれました。
競争も争いも好きではないけれど、競争心は何かのきっかけなどで
簡単に自分の中に出現するものなんですよね。
だから、「いつも意識してはいないけれど、きっと存在はしていて、
何かのきっかけで火がついたり、存在感を増したりはすると感じます」
とお答えしました。
競争が嫌な自分だから、競わせ、業績をあげさせる、
業績を表やグラフで張り出したりする会社に勤めることが
私には特段に「合わないこと」だと、会社勤めをしていたときから意識していました。
セッション後の数日、大半の時間をクライアントさんとのセッション時の感覚を思い出してみたりして、脳みそに課題を与えるかのように思考しまくりました。
さすがに疲れを感じたので、翌日は図書館で借りた本を読む休日にしちゃえーと思い、本を読み始めた5分後に瞑想状態に。
その時「あれ?私には企業に勤めるって、実は合ってるんじゃないか?」と新しい視点に立ったのです。(企業側がそう思うかは定かではありませんが)
私はお客様と直接関わることサービス業やそれに近い業種を
今までの9割仕事にしてきました。
「はて、なんでだろう?」と改めて考えると、お客さんと直接接することで、
相手の「助かったー」という気持ちや、「どうもありがとう」という感情に
オンタイムで触れられるからなんです。
まさに、ライブ、です。
例えば、お客様のためにシステムを構築したり、お野菜を作っている場合、
お客さんの喜びなどを直接感じることは難しく、想像するしかないわけです。
私は想像したり、想ったりするよりも、ライブでのナマ感が好きなのです。
で、なぜ企業向きかな?と思ったのは、
日々、同僚や上司、仕事関係者、もちろんお客様など、
沢山の人と「ナマのお付き合い」をすることになります。
私は会社内で「自分はもっと突出したい!」とか、「出世したい!」
「肩書きが欲しい!」とか、そういう欲求を感じたとこもなかった。
私にとって重要なのは、お客様がどれだけ喜んでくれるのか、社内に限らず、
関わる人たちみんなが、それぞれに生き生きと楽しく仕事が出来ているのかでした。
だから、競争を望むのではなく、協力すること、支え合うこと、
一緒に喜びを享受することが一番のやり甲斐でした。
企業内で、自分の取り分や利益の方のフォーカスし、そちらに固執し始めると、
仲間を陥れたり蹴落とそうという思いが生まれる人もいます。
自分の利益が最優先であり、利益は取り合うものがという概念が強くなると
仲間としての協働は機能しなくなります。
私は会社勤めの時よりも、自分で仕事を始める時に「競争心」というものに火をつけざるを得ない状況を経験しました。
よくある「起業塾」のようなところでは、自分の仕事でいかに他者よりも突出するのかとか、いかに競争に勝ち抜き利益を得るのかという考え方をこれでもかと刷り込まれます。
私が壁にぶつかったのは、その講座を受け始めて直ぐでした。
私は「競争」すること、人と人と比較することを望んでいなかったからです。
もちろん、競争をすることを望まない人も存在するし、競争ににならないと燃えない人もいます。競争にはなっから参入しない人もいます。
様々なタイプの人が存在するのが社会であり、企業内なのです。
とはいえ、会社の体質や流れに合わせる必要はないと思います。
それよりも、自分の心がどう感じるのか、自分はどんな環境を好ましいとしているのか、どんな働きかたをしたいのか、どんな世界で生きて行きたいのか、そちらをクリアにする方が、自分の行動が自ずと決まります。
そして、私はどんな環境においても、競ったり、比べたりすることなく「自分の役に立てることで必要とする人と関わり、その使命を全うする」という方向性を目指しました。
競争が当たり前だと考えられ定義づけられている世界で、
自分らしく生きられる環境や方向性が分かるだけで、
心の荷がぜーんぶ降りたように軽やかに、そして楽になります。
クライアントさんと、私はその辺りが似ているんですねーということが分かった時、
男性なのに肩書きに関心も持てず、
争ったり蹴落として成り上がることに全く関心も持てず、
奮起できない自分に悩んでいたクライアントさんから、
冒頭のあの言葉が出てきたのでした。
競い合いたければそういう場所も存在し、いくらでもチョイス出来ます。
同じく、そうではない場所も存在していて、どちらも選べる。選ぶのは自分自身であり、誰もが自由に選ぶことが出来ます。どちらが正しい訳ではありません。
どちらを好み、どちらを選ぶか、ただそれだけなのです。
もし、今後彼が同じ職場にとどまるとしても、クライアントさんの日々の気持ちや人生は全く違ったものになるでしょうね。
みんなが、自分の望む生き方に気づいて、ストレスからも強迫観念からも、
不安からも解放されて、楽に生きていかれるようになるといいなあと、
心から望みます。