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執筆者の写真中島未来

<人生を何に費やすのか>


「私は今、自分がやりたいことをしているだろうか?」

いつも自分自身に対して投げかける質問です。

以前は、この質問に対しての答えが「私がやりたいことじゃない」だったとしても、様々な理由を見つけては、

「やりたくないこと」に時間とエネルギーを費やしていました。

時折、ギュウ詰めの電車に乗らなければならないとき、

この車内にいる何人の人に「本当にやりたいこと」があって、

そちらにエネルギーを使えないのだったら、

こんなに勿体無いことはないなあと思うのです。

やりたいことをするにしても

やりたくないことをするにしても、

どちらにも手間暇かける必要があるのは

実は同じです。

好きな果物を育てるにしても、

自分は食べない嫌いな果物を育てるにしても、

放ったらかしにしていては、どちらも実らない。

だったら、自分のやりたいことに手間暇かける方が

良いんじゃないかなあと、私自身が思います。

やりたいことをやるために、やりたくないことを仕方なくするという選択をする人もいますが、やりたいことと、そうでないことを手がける時、必要なエネルギーは実は違います。

やりたいことをやっている時、

自分の中に生まれてくるエネルギーは限りがありません。

自分の内側でエネルギーを作り出すエンジンが動いているからです。

やりたくないことをしている時、そのためのエネルギー供給源は人によって様々です。

夏休みと冬休みに海外旅行に行くことかも知れないし、

見合った毎月のお給料かも知れないし、

手厚い福利厚生かも知れないし、

上司からの労いかも知れません。

難しいのは、自分の中でエネルギーが作られる場合と、

外から供給する場合では、需要と供給バランスが合わないことがあることです。

それと、私が以前、やりたいと感じてなかったことにエネルギーを傾けていた時、

どれだけそこに時間とエネルギーを注いでも、

気持ちも未来も拓けていかないことに気がつきました。

私が現在、自分で小さく手がけている仕事は、

先の未来に想像を膨らませた時に、大きく大きく拓けて行き、

それと同時に気持ちもパーッと明るく拡がって行くものなのですが、

以前にしていたやりたいと感じてなかった仕事は、

自分の目の前、手の中にある仕事の先の未来が全く見えないのです。

それは、好きなこと、やりたいことを手がけるときに感じる

拓けて行く感覚とは正反対の、ものすごい閉塞感です。

息が苦しくなるほどに。

今世が、来世がと表現する人もいますが、

来世を生きている時に今世のことを覚えている人は稀です。

ほぼ居ないかも知れません。

だから来世に未来を託すより、今、この時に自分が本当にやりたいこと、

自分をエネルギッシュにして、幸せに満たすことにエネルギーを注ぐ方が

幸せになれます。

嫌なことをずっと続けていくのは

時間とエネルギーの無駄使いだと、私はキッパリ!と思います。

嫌なことをずっと続けていると、自分にそれを続ける言い訳を考えては刷り込んでいくので、

どうして嫌なのか、ではどうしたらいいのかを感じる部分が麻痺していきます。

麻痺しているから自分を騙せるのです。

自分を騙しているから、メンタルも不調になり、身体自体にも不調が出始めるのです。

自分のやりたいことをして生きていくことが出来たら、東京はもとより、日本はもっと内側から幸せ感の溢れる国になるだろうなと思います。

同じように時間とエネルギーをかける必要があるのなら、

やりたいこと、やりたくないこと、

どちらを手がけたいですか?


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