何かを止める、辞めるとは
人生の一大事に感じたりして、
決断するのも一苦労だと思ったりしますが、
果たして本当にそうなんだろかと思ったりもします。
自分でコントロールしているように見えて、実はそれすらも、
大きな出来事のうねりの中の、起こるべくして起こる、
出来事の中のひとつなんではなかろうか。
自分の目の前や、頭の中で想像しているあれやこれやは、
ごくごく僅かな断片でしかなくて、
自分の見ていない背後では宇宙的レベルで、物事が動いている。
最近、そんな風にしか思えないんです。
そんな訳だから、あらゆることを自分でコントロールしようと思えなくなりました。
反面、何かを決断する、行動に移すことは非常に大切なことで、
これが出来事を動かす火種なのです。
コントロールしてない、出来ないと考えると、
自分が出来ることをコツコツとするしかないなと感じるし、
自分の想像が及ばない広大なレベルで世界が動いているとすると、
自分が想像しうる小さな限られた結果を望むこと自体が
おこがましいなと感じるのです。
さすれば、想像出来ないような、
驚くべき出来事が現れるわけです。
自分という存在はサイズ感的にはちっぽけではありますが、
非常に希少性の高い存在であると感じられたら、はて、
どんな風に生きていこうと思いますか?
この集大成の日々の生き方が宇宙の法則に則ることだと、
最近あらためて感じるのです。
ちっぽけだけど、貴重な自分。
ちっぽけだけど、貴重なあなた。
ちっぽけだけど、貴重なあの人、この人。
各々の日々の在り方、生き方が反映されるのは、学校の成績でも内申でも、
会社での給料や肩書きでもなく、自分の周りで起きる出来事であり、
自分の目と耳に飛び込んでくる出来事。
自分を起点に、小さな世界と大きな世界が絶妙なバランスをとって存在している、
真ん中で起点としてフラットに生きていく。
人生はやっぱり、奥深い。
朝晩の瞑想を欠かさず、
自分を常に起点にリセットしていこうと思うのでした。