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執筆者の写真中島未来

<マザーテレサになれない自分に落ち込む人へ>


良い人になろうとするほど、

寛大な人であろうとするほど、

抱えてしまうジレンマがある。

それは「認めたいと思うんだけど

どうしても受け入れられない」や

「好きにはなれない」というジレンマ。

そこに何が起こっているのかと考えてみました。

同じ状況を、私自身も抱えたことが実際にあるからです。

起こっていることは「共感」と「同感」を

混同してしまうという現象。

共感するとは「そうかー、あなたの気持ちはそうなのね。

あなたの価値観はそういうものなのね」と知り、判別も

拒否もしない。そういう感覚や考え方があるということを

言うなれば「目の前に置いて、見ることが出来る」ということ。

全てを受け入れる人になれないというジレンマを抱えるのは、

目に前に置いてある「それ」を、自分の中に取り込もうとしたり、好きになろうとしたりすることで、それは共感を通り越して

「同感する、同調する、同意する」ということになる。

その状況は、あたかも嫌いなものを無理やり口に入れて飲み込むという感覚と

同じようなもので、まさに無理強いな訳で。

こうなると、もう認めるということ、受け入れるということを飛び越えているのです。

そのものが「存在すること」を自分にOKを出せても、

同じように行動するとか、同じように好きになるというのは

無理な話であり、そんなことはする必要はないのです。

どんな人と知り合ったとしても、相手に共感を持つことは出来る。

相手の世界観を知り、存在することを受け入れることは出来る。

でも、それに同意することは出来ないこともある。

同意出来る、同感出来る事柄の多い人とほどより親密になる訳で、

共感できても同意できないこと、同感できないことがあるのは

仕方ないことなのです。

これが、とっても仲良くなれる人がいるのと、

そうはなれない人が存在する理由です。

自分が共感出来なくて悩むのか、

同感出来なくて悩むのか、

似ているようで、全く違うこと。

その視点で見ると、目の前の現実に新しい光が

射して来ると思います。


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