凄惨な事件が世界の各地で起きる今、怖い思いをしたくない、
大事な人に怖い思いをさせたくないと考えた時、
じゃ、どうしたらいいのか?
警備を厚くする?防犯カメラ?
現実的ハードの部分で考えるのも悪くはない。
でも、不確定で不特定な対象を、常に警戒したり、予防したり、
まるで、来るか来ないか分からないジョーズの襲来を恐れているようなもの。
もっと有益な方法は、視野を狭めていき、
自分が日々接している人との関係性にフォーカスしてみることなんじゃないかと
思います。
怒り、恨み、悲しみ、痛みが自分の中で膨れ上がり、爆発してしまう状態は
1日、2日でなるものではありません。
何年もの年月をかけて、積み重なり、積み上がっていく。
人間は、空白から突然出現するものではなく、人と人が出会い生まれてくるものです。
繋がりがある人が、この世界で皆無な人なんていません。
私たちは、楽しさや幸せもそうだけど、不安や恐怖に自分自身が振り回され、
周りの世界を見失っていないだろうか?
困っている人、悲しんでいる人、助けが必要な人を見過ごし、
ほったらかしにしていないだろうか?
自助努力を強く主張するということは、自分も助けてもらえず、
自分を自分で救う努力をしろ!と撥ね付けられるということ。
そして、人は案外、誰かに助けを求めることが不得意です。
困っているのか、助けが必要なのかは、訴えなければスルーされるし、
よくよく日々気をつけていないとヘルプのサインに気づけない。
助ける、サポートするとは、片っぽからのアクションではなく、
お互いからではないでしょうか。
一人ひとりの存在を尊重する世界にならない限り、
怒りで我を失った人は突然また現れる。
世界を変えられるのも、不安や恐怖を払拭するのも、
やっぱり一人ひとりの慈愛なのです。