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執筆者の写真中島未来

<プライドのもたらすもの>


プライド、高い、低いで話題になることもありますよね。

「あなたがプライドを持っていることって、何ですか?」

と聞かれることもあります。

プライドがあるのかと聞かれたら、

私は特にプライドを持っていません。

特定の何かに関しても、プライドは持っていません。

プライドって何でしょう?

あなたにとって、プライドって何ですか?

例えば、自分がプライドを高く設定している何かがあったとして、それが誰かに評価された場合、どんなことが起こるんでしょう?

そもそも、プライドに高い、低いって必要なのでしょうか?

高い、低いって、目に見えないのにどう判断するのでしょう?

プライドという言葉を使う人は、プライドを自分にとってどんなものに捉えているんでしょう。

プライドも、私は一つの自己肯定感だと思っています。

人に明言できる「私はこれこれに対して、自尊心を持っていて、肯定的に感じています」

それはそれで、素晴らしいと思います。

でも、そのプライドが傷つくとか、傷つかないとか、そういう現象が起こるのは何故なんでしょう?

多分、「肯定されたい事柄」なんだと思います。

そしてまた、自分自身もそうですが、他者からも認めて、肯定してもらいたい事柄なんです。

プライドを折られたりしたと感じるということは、

自分ではそれを肯定し切れていないということになります。

自分が大切に思っていること、大切にしていることを他の誰かに認めてもらえなかったとして、それが自分にどんなことをもたらすのでしょう?

プライドというデコレーションをしているものは、あなたにとって、本当はどう感じているものなんでしょう?

プライドというひとつの表現も、人ぞれぞれのイメージや定義は違うと思うのです。

持っていて、逆に疲弊するプライドは持たないほうが楽です。

私はプライドはありません(笑)

それがいいとも、悪いとも判断は出来ませんが、

プライドは関係なく、私は自分のことも、自分以外の人のことも

同じように大切にします。

そのことの方が、私にはもっと大事なことです。


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