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執筆者の写真中島未来

<SNS依存の真相>


このSNSが爆裂している世の中で、

SNSを全く使わない友人が、何人かいます。

彼らの一番の共通点て何だろうかというと、

人に自分の評価を委ねていない。

SNSを使う人の多くが、人から自分の評価して欲しいという

自己承認欲求を抱えていることは明らかですが、

他にもいろいろな理由がくっついています。

例えば

・誰かの認める、誰かの生き方を生きようとする

・常に「誰かから見た自分」を気にしている

・承認されたいということは、自己肯定が出来ない

誰かの欲求に応えるということは、簡単そうで、実は当てもないこと、

確証もない事にずっと気を張っている事で、とてもしんどいことなのです。

誰かに「すごい」と言われそうなものを食べる、買う、使う、

やってみる。でも、その中心にいるのは常に「確証のない、不特定多数の意見」と

「不確定な承認を待ち望んでいる枯渇した自分」なのです。

想像してみてください。

自分で土に根を張り立っている大樹。空から太陽の光と雨を得て、

土から必要な養分を得る。自然環境に左右されることはあれど、

自分で生きている。

切り取られ、花瓶に生けられている花。

自分で水を取り替えることも出来ず、誰かにお水をもらったり

陽の光が当たるところに移動してもらうしかない。

誰かの評価に頼って生きるというのは、花瓶に入れられた花と同じです。

自分で生きられない人生を選ぶのか、

自分で生きる人生を選ぶのか。

SNSを使う理由の中にも、これだけの思考と選択と行動のドラマが詰まっています。

四六時中、自分以外の人の動向を考えているって、しんどくないのかなあ。

サーブされたばかりの食事を目の前に、

一生懸命写真を取ろうとしている人を見ていると、私はいつもそんなことを思います。

それは、自分のために撮っているの?

それとも、他の誰かのため?

あなたは、一体どこにいるんだろう。

誰の評価も、誰の目も気にしない

自分に出会いたくはないですか?


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