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執筆者の写真中島未来

自分を肯定することと自己の成長との関係性・・・


自己肯定の「自己」に関して、持っているイメージの違いを感じたので 書こうと思いました。

肯定しようとしているダメな自己のことを 『自分を「マイナスや劣っていることがある自分」』と 感じたり定義するケースが多いように感じました。

この自己イメージがスタートになると、 自分を「これでいいのだー」と肯定しても、

「でも本当は、もっと成長するべきで、何か得意があった方が良くて、 実はこのままではダメなんだよね・・・」と感じることになります。

スタートが何かが足りない自分、だから。

肯定をしようと姉妹と、ありのままの自己が、 既に「かけがえない尊き、価値ある自分」だと私は確信しています。

何かが得意だとか、何かは人より長けているとか、そういう想定は一切なく、 ただ存在として、そこに在るだけで 私だけでなく、世界中全ての人は素晴らしいのです。

私たちは、すぐ忘れてしまうか、知らないという理由で 私たちが「愛」が具現化した存在であることに価値を感じられなくなります。

私たちは、愛が形になったものであり、愛まるごとそのものなのです。

この確信があるから、病を持って生まれた人、 アクシデントで何か(仕事など)ができなくなった人、 赤ちゃんや、家でゴロゴロしている犬も、 全てに価値があると心から思えるのです。

分かりやすく、ある人を例にしてみますね。

2009年6月25日に亡くなった「キング・オブ・ポップ」のマイケル・ジャクソン。

マイケルは、偉大な歌手で、素晴らしい作品を沢山残したから彼に価値があるんじゃないと 私は思ってます。

マイケル・ジャクソンという愛(が形になった)の存在で、 もともと尊い存在でありながら、 世界の子どもたちの困難な状況に心を痛める「愛」を自分の得意である歌とダンスで メッセージにした。

魂の望みに従った愛の行動を得意がさらに輝かせたのです。

彼は、もしアーティストとしての活動をしていなかったとしても、 素晴らしい存在だったのです。

「功績や理由があるから」 人は価値があるわけでも、素晴らしくなるわけでもないのです。

この「自己」という考え方のスタートが違うだけで、 「自己肯定」はただの「慰め」や「とりあえず認める」というものでしかなくなり、 特別な何かを持っていない、何も結果を出していない自分に欠乏感を持ち続けて 「成長」や「向上心」というなの、穴埋め作業が延々と続いていくことになります。

自己肯定は、「足りない自分を肯定して」何かを付け足していくことではなく、 そのままの自分に既に価値があることを魂から理解、体感することです。

あなたが持っている「自己肯定」のイメージ、どんなものですか?

どんな自分がスタートになっていますか?ゼロですか?マイナスですか?

プラスのあなたから始めてみると、 新しい世界が必ず、あなたの前に開けると思います。

中島 未来


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