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執筆者の写真中島未来

<自分軸を発見する虎の巻:心が疲れちゃう自分の習慣を変えるの術>


ここ数週間、自分の行動習慣を変えていました。

どう変えていたのか?というと「以前していた考え方に戻してみる」こと。

お仕事を手伝っているところで、スタッフがどんどん減らされているという話題が出たところで「このまま最低限の人数になったらどうなるんでしょうね??」と不安になってみたり、

上司の不満に一緒に頷いてみたり、

テレビのニュースを見て「将来、日本の年金はどうなっちゃうんだろう。蓄えがほとんど出来ない間に、何かあったらどうしよう」と考えてみたり、

ニュースに出てくる「加害者」と呼ばれる人を非難してみたり、

満員電車に乗ることのなった時、「あー、きつい、苦しい、暑い!」とイラついてみたり、

政治の話題に憤ってみたり、安倍内閣を罵ってみたり、

足をぶつけたら、テーブルの脚に文句を言ってみたり。

自分が以前していたのと同じ「考え方、感じ方、反応」をしてみました。

で、何が起こったかと言うと、

心がヘトヘトに疲れてしまいました。

疲弊の大半の理由はドンと重くて低いエネルギーが及ぼす影響です。

波動ってやつですね。

この低いエネルギーって、俗に言う「取り越し苦労」とか、「被害者意識」とか、「責任転嫁」と呼ばれるものに姿を変えられると思います。

私は母親から「あなたって、ほんっとうに悲観的ね」と気付いた時に言われていました。そして、実際に自分でもそう思っていたし、常に何かを心配して「私は不幸な星の下に生まれたんだ」と、会った事もない「神様」を呪ってました。

その期間はとっても長かったと思います。おおよそ息子が保育園の年中さんくらいまではバリバリそう思ってました。私は悲観的で、人よりも苦労が多くて、かわいそうな人だって。

数日前にも書いたのですが、私たちは自分が思っているように、信じているように、自分の人生が創造されていきます。信じていると言うとイメージが湧かない場合もあるけれど、違う言い方をすれば「自分が選んでいる考え方が現実になっている」。

お金が足りなくなるんじゃないか、沢山手に入らないんじゃないかと思っていれば、その通りに月の支払いで出たばかりのお給料がすっからかんになくなったりします。

この企画は断られるんじゃないかと考えれば、先方から断られて自信をなくします。

この人は浮気するんじゃないかと思えば浮気をされるし、

何か言ったら逆ギレされるんじゃないかと思えば、しっかり逆ギレされるし、

悪いことは続くんだと信じていれば、悪いことは起こり続けます。

実話ですが、「私は一番に愛される人ではなくて、誰からも「二番」に思われるような女なんだ」と思っていたら、そう思っている間、出会う男性。出会う男性に「二番の女」として扱われます。

今回、自分の毎日の生き方を以前していたのと同じ生き方にする実験をしたところ、現実になるのは昔よりも、もっともっと早いです。

取り越し苦労していると、夜寝ている間も心配事は夢として現れ、脳は完全に動きっぱなし、寝た気がしなくて身体は疲れて、そして免疫力が下がって風邪を引く。

そんな現実が出来上がりました。

こんなしんどい生き方、いやー、やっぱりもう出来ないなあと思いました。

昔は悲観的で、心配性で、いつも自分の都合の悪いことを自分以外の何か他のこと、他の責任にしていた私は、人生は自分次第であり、どんな生き方もチョイス出来ることを知りました。

それから、何か行動を起こす前に「最悪の事態」を考える事もしないですし、将来の自分が抱えそうな不安を指折り数える事もしないですし、何か出来事が起こった時も起こった時に対応すると決めています。

誰かに何かを言う、行動する時も、その行動に愛以外の何かが混じっていないのかをよく検証して、相手にとって必ずしも気分のよくなる内容でなかったとしても誠意を持って話します。相手の反応に怒ったり、落胆したりしません。

起こるかどうかも不確かな未来の不安を想定して、対処法を考えているなんて、本当に苦しい毎日です。毎日の全ての瞬間が苦痛に感じます。

以前のような不安や恐怖を混じらせた思考や選択をしていても、

今に集中し、どんな不幸に見える出来事や大変そうな出来事が周りにあったとしても、明るい未来と愛を持って生きている人々と、最愛な自然の全てを大切に深呼吸で生きていても、

周りの出来事自体は、昨日のそれと大差ありません。

でも、自分の心と、自分を取り巻く現実は確かに変わります。大きく違います。

自分に必要だった改善点を見つけ、選択肢から得る結果の違いを体験して、

自分の生き方の軸をまたクリアにするきっかけになりました。

どう生きるかは、本当に自分次第。正しい人生なんて決まっていない。

どんな毎日が正しくて、何が間違っているというのも違う。

人はそれぞれに、常に最善だと思う道を一生懸命に選んでいるから。

でも、懸命に選んでも何か違う、苦しい、もっと他の方法はないのか?と考えた時、今選んでいる生き方よりも喜びに満ちた道があると知る時期なんでしょうね。

人は自分が信じたように生きられる。それがどれほど楽観的であろうと、どれほど悲観的であろうと。

選択の自由と権利を大いに使いたいものですね。


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