私たちは「人を大切にしましょう」と、小学校入学前から大人たちに教え込まれます。
「自分を大事に、自分を愛して、そして人のことも同じように大切にするんですよ」と教えてくれる人は居そうで居ない。
生まれてから数年しか経たないうちに、私たちは自分を大事にすることを忘れる又は、知らずに大きくなります。
大きくなる過程で、親を喜ばせる、笑顔にすることなどを日々の生活で学んで行きます。時には悲しかったり痛かったり、辛い出来事と共に。
自分を愛することが何だかよく分からない大人に育つのは、この自分以外の人を大事にする、自分が生きやすいように親に愛されるように行動することが自分にも世の中にも当然、当たり前のことになっているから。
こうして、外の世界に都合の悪いことが起こったとき、誰かを怒らせたり、失敗したりしたとき、私たちはまず自分に責任を感じて、自分を責めるような心理システムを作り上げて行きます。
全ての人に共通して言えること。それは、全ての人間は生まれ、存在し、生きていることが祝福されるべき奇跡です。
重力を感じながら重たい身体で3次元を生きていること自体が素晴らしい価値あること。
ここを大体の大人が忘れ去ってしまい、もっと能力をつけなきゃとか、人と比べて何かに優れている人であらねばと「もっともっと」を要求し始めます。
ご自身の両手のひらを見つめてみて下さい。
元気に座って健康な両手を見つめている自分。その自分はもう特別な自分です。当たり前でも、ゼロでも平均でもなく、プラスのこと。
この概念が自分のお腹の底から実感として信じられる状態にならないと、何をやっても吹いたらすぐに吹き飛んでしまう程の表面的な定着しないフェイクの概念になります。
どんな方法でも、どんな思考プロセスでも構いません。 自分という肉体を持った存在が、どれほど貴重で特別なものなのかを落とし込んで下さい。
このプロセスをスタートさせると、沢山の「反対意見」が心から湧き出たり、頭の中をぐるぐる回って、全てのスペースを占めてしまう。
そんなことが起こり始めます。
その時は次のステップです。
自分が特別貴重で、価値ある存在なのだということを落とし込むことから始めてみて下さい。