人間関係、人付き合いのフィルター
私たちは同じように見えて、皆んなそれぞれが違う「フィルター」を持っています。
場所や環境(学校や職場、地域)、知り合い、友人、親しい友人、家族など、
分け方の時点でみんな違うのです。
では、分けることで何が起こるのかと言うと、自分の分けた通りの付き合い方が
現実になります。
分かりやすい表現をすると、家族だからとことん向き合うとか、仲の良い友人だから助けるとか、
たった今電車で隣り合わせの人だから自分には関係ないとか、職場の苦手な上司だから職場以外では付き合わないとか。
今、私の知人のお勤め先で、アルバイトの女の子が心が傷ついてしまい、仕事に来られないという状況が起こっていて、職場の人たちの反応の仕方はそれぞれ。
就業規約に則って、退職してもらえば良いという反応をする人、
どうしたのだろうか、一度外で会ってみようかと考える人、
社会人としてなってない!と起こる人、うちの部署じゃないから関係ないと言う人。
この反応が、それぞれの「人間関係フィルター」を通して形作る現実です。
世の中は、ここでどの反応が正しいとか適しているとかいないとか、そういう話が持ち上がりますが、人生を創造するということでいうと、そういう話ではありません。
世界は、自分自身が「この関係はこういうものだ」というフィルターが概念や経験から
作られ、その通りに作り出されます。人間関係で対相手から戻って来る反応、相手から
作り出される状況は「自分が考えている通り」になります。
もし「もっと親身になって対応してほしい」とトラブルの際に駅員さんに望んでも、
「どうしてこういう時に助けてくれないんだろう」と職場の同僚に望んでも、
自分の「この場所、この状況で関わる人との付き合い方はこういうもの」という概念があると、
その通りの現実しか現れないということです。
そして、フィルターにはよく条件や制限がセットになっています。
その条件や制限は自分を恐れや不安から守るために設定されています。
たった今知り合った人と深く関わらないようにしようと決めているのは、どんな不安からですか?
職場の人とは深く関わらないようにするのがいいと信じたのは、どういう気持ちが起点になっているのですか?
大人になってから知り合った人とは、なかなか本当の友達になれないと思い込んでいるのは、何が理由なのですか?
自分を取り巻く世界は全て、自分の思考、信念から創り出されています。
快も不快も、自分の思考と信念の結果です。
あなたはどんな人間関係を望んでいますか?