GWが始まりました。旅行に出かけている人も多いんだろうなと思います。
サービス業に居たことが長いので、一般的な長期休暇に出かける習慣の無い私。
仕事をしたりして過ごしていますが、今年の春は今までとはちょっと違います。
何というか、物凄い大きな空間的な部分が変化していることと、自分自身も丸ごと細胞レベルで変わって行っている感じ。
ギリギリギリ、ギギギギーーーーーと自分が「改造人間になる感じ」とでもいうか。あー、上手く説明出来ないことがもどかしい。
でも、この「言語表現としてまとまらない」のも、かなり珍しいことなのです。
3月の終わり頃から、自分の中から「これが嫌、あれが嫌、こんな世界が嫌、こんな人々が嫌!」と、嫌なことがドクドクと溢れ出てきていました。
嫌な気持ちが増殖しないように、テレビを見る時間を極力減らしたりもしました。都会の真ん中で世捨て人になるのも結構いいものですが、内側から溢れる感情と、それに伴う変化は、自分の意思に反して止まることを知りません。
更には、体調も思わしくなくなったりで、「これは抵抗しても仕方ない」と諦めました。
それから、本を読んだり、最近はほとんど見ることがなかったDVDを見たりしていました。
そんなことをしながら1週間ほどした休日の朝、私は答えを手にしました。
その答えは、
「世界はこうであると受け入れよう」ということでした。
この「世界はこうであると受け入れる」って、「諦める」ことでも
「仕方なく迎合する」ことでもありません。
世界は、どんな方向に進んで行ったとしても、どれほどの年月が経とうとも、
「全部がいいこと」にはならないということ。「もっとこうなればいいのに」や「こういう部分は変えていきたい」というものを、必ず含んでいる。
それが「世界」だということを、自分の中に深く受け入れるということ。
思えば、私は光と闇があることも、陰陽があることも、満ち欠けがあることも、出会いと別れがあることも、頭では分かっていながら、心で理解していると思いながら、依然、受け入れない部分と受け入れる部分を選り好みしていたんです。
嫌な部分は拒否して、拒否して、自分の望む形に変わることを願って、期待して、行動して、そうしない人、出来ない世界に苛立っていたんです。許せない!って思っていたんです。意識と無意識のすれすれの部分から、無意識の深い部分でずっとこれを行ってきたのでしょう。
そして、「世界は全てを含む全体。この世界がどんな場所であっても、私は自分の願う輝く世界を見据えて、諦めず、全てと共に生きていこう」と思ったんです。
そういう想いが心に浸透して行った時、心に今までは感じたことがない静けさと安堵感がやってきました。
ずっとざわざわと騒いでいた心の中と身体に、静けさが訪れました。
「そうか、生きるって、こういうことなんですね」って。
私がそうだなんて、おこがましいことを言うつもりは毛頭ないですが、
お釈迦様とか、イエスキリストとか、こういう「穏やかさと静けさと、世界を諦めない希望」の中に、生きていらしたんじゃないかなあと想像したんです。
様々な彫刻や絵に現れる、「穏やかなお顔と存在の静けさ」って、こういう世界観がにじみ出ているんじゃないかなあと思ったんです。
人の怒り、争い、憎しみ、悲しみ、欲望、喜び、痛み、誕生、出会い、生と死、
全てを受け入れ、出来事も、全てを「自分の人生」として拒否しないということ。これこそが、本当の「心の平穏」を体感することなんだなあと。
その境地を、ちょっとだけ垣間見えれた感じがしたんです。
こういう生き方をしている人、思い当たるなあと思いました。
大事な家族の生と死の狭間を目の前にして、それでも、出来事全てを見据えて、穏やかに生きている人。
そうか、あの人は、こういう感じなんだなあきっと、と思いました。
自分の願っている結果にならないと嫌だ、別れが怖い、失うのが怖い、死が恐ろしい、これは全部「拒否」しているからなんですね。
そもそも、人生は誰にとっても、挑戦の連続なんです。
変えたいところがあってこその世界、
自分の信念を大事に、光に向かっていく生き方に、全ての要素を含んでいる。
みんながイメージするような、天国の世界ではないのが、私たちが今生きている
この世界なんですね。
一言では「何を」と言えないんですけど、
全部を受け入れると、なんかね、不思議な心持ちになります。
何かが自分の周りと内面で進むたびに、世界の見え方が変わって来るでしょう?
あなたも今、その変化の真っ只中にいるのかも知れないですね。
この変化を元に、また色々とお役に立てるようにしていきたいなと思います。
「最近までうまく行ってたのに、また前のようにぐちゃぐちゃな自分になってしまった!どうしよう!」と感じている人は、全然焦ることないと思います。
色々気付いたつもりだったのに、体感して、体得したはずだったことが、また自分の中からドクドクと溢れるどす黒い感情でめちゃくちゃになってしまっているように感じていても大丈夫です。きっと。
それは、芋虫が蝶に変わる前のさなぎの中での変化のようなものでしょう。
自分では意識していないことや、整理しきれていなかったことなどが嫌でも押し出されて、大きな変換を遂げようとしているんです。
私は「大丈夫」って、何度でも言いますよ。
大丈夫、焦らないでも。流れに自分を委ねてみてください。
行き着くところに行きつけるようになっていますから。