朝起きて、心が完全にオープンで、
気持ちはスカッとしていて、
陽だまりの中にいるように気持ちよく、
安心して日々を送れていますか?
朝のラッシュ時に電車に乗っている限り、
そういう状態の人は、少ないように思います。
会社を出た瞬間は、
1日の終わりに安堵する人は多い。
そして翌朝には、
またなんとなく気持ちが重かったり、
漠然と「何か」を気にして1日を過ごす。
その気持ちの重さを引き起こしたり、
常に気にしている「何か」とはなんでしょう?
それは「世間に暗黙に存在している価値基準」です。
そこに自分を照らし合わせて
「外れていないか、合っているか、正しいのか」と
四六時中考えていませんか?
テレビから流れるニュースを聞き、
それに関する意見を持ち、
その意見は、果たして世間的に正しいのか?
自分の、ものの見方は間違っていないか?
私の意見は正しいのか?
世間の見方から外れていないか?
年齢的に、給料は平均的にもらえているか?
政治問題に関する、自分の見解は間違っていないか?
私の休日の過ごし方は、人と違いすぎないか?
やり甲斐ある仕事に挙げる私の条件はおかしくないか?
「自分は間違っていないか?私は平均的か?
平均以上か?世の中の流れから外れていないか?」
息つく暇なく、自分を「世間軸」に当てがってみて
調整したり、落ち込んだりしている。
自分が声を発する時、無意識に
「この発言は物議をかもさないだろうか」と
自らをジャッジしている。
そういう状況を見ていると、「しんどくないのかな」と
思うのです。
そんなこと、する必要ないのにと思うんです。
そもそも、世間軸なんてものはないんです。
人間は面白いもので、自分らしさを知って欲しい、
受け入れて欲しい、愛して欲しいと思っているのに、
周りが「本当の自分」を見た時に、どう反応するのか
恐れている。
恐れているのだけど、恐れを気にせずに
自分を丸出しにして、バッシングを受けたり、
炎上したり、
そんなことになっている人を横目で見ながら
同じようにバッシングしたり、否定したりしながらも、
「そう出来たらどんなにいいか」と羨ましく
思っている。
時に辛辣な意見を吐いて、世間から非難轟々でも、
自分らしさを前面に打ち出して生きている人を見て、
自分もそうしたくて仕方がない。
それは、
他人に咎められないように、
嫌われないようにしている自分以外の、
違う自分が存在していることを、
誰もが分かっているんです。
私たちが、自分らしく、
自分の生きたいように生きたとして、
誰かが迷惑を被るようなことは、
本当はないのです。
人間が、心からの自分を生きる時、
それは愛から生きるからです。
私たちが、本音を見せないように盾にしている
「建前」は、
自分のためのものじゃないんです。
それは、人のためのもの。
予想もつかない、相手の考え方、反応に対して
全ての意見を平均的に整えるために
用意しているのが「建前」なのです。
他人軸、世間軸に
自分を照らし合わせるのは、
もう止めてもいいんですよ。
存在しない軸にいくら合わせようとしても
合わせられることはないから。
自分の毎日や人生が「正しい」のか
判断する軸は、どこにありますか?
あなたは、その軸を自分の中に持っています。
今日も目を通して頂いて、ありがとうございます。 素敵な1日を送れますように、 心からお祈りしております。
宇宙の法則を使った ハイブリッド脳ライフシフト コンサルタント&コーチ
中島 未来