私が今までに体験した中で、最も恐ろしく、最も衝撃的で、今でも鮮明に思い出せることを、覚えているこの機会に書き留めておこうと思います。
皆さんは「霊に取り憑かれる」ということを聞いたことがあると思いますが、実際信じられますか?
私は「自分には関係ない話」だと思っていたし、取り憑かれるとどんな状態になるかなども想像もつきませんでした。
霊感があると感じたこともほとんどなく、極端に恐ろしい経験もなく、20代の終わりまで来ていました。
そんな私に、一度に様々な恐ろしい出来事が降りかかったのは、日本から遥か海を隔てた、オーストラリアで、でした。
恐怖のスタートとなった場所は、友人の家でした。
当時、私は仲の良い友人の家に、頻繁に泊まりに行っていました。初めの頃は何も問題無く、楽しく過ごしていました。
ある日のこと、いつものように遊びに行き、夜も遅くなったので泊まっていくことにしました。友人は友達と2人で、オーストラリアの東海岸らしい「高床式」の一軒家をシェアして住んでいました。1階はガレージ兼物置、2階は玄関を入るとすぐキッチン、隣は大きめのリビングダイニング、広さは20畳ほどだったでしょうか。
リビングダイニングと窓に面した廊下、キッチンがコの字型に2つのベッドルームを囲んでいる、少々不思議な作りになっていました。私の友人の部屋は、窓に面している壁が無く、ドアを閉めてしまうと真っ暗になります。暗闇が苦手な私ですが、当時は友人も一緒だったので、特に気にはなりませんでした。
その晩、フッと夜中に目が覚めました。電車自体が少ないオーストラリアで、友人は珍しく電車の駅と線路に近いところに住んでいました。近いと言っても、家から駅まで距離にして200メートルはあったと思います。昼間は電車の音などはほとんど聞こえない距離。
目覚めた時、近くに時計がなかったので正確な時間が分からなかったのですが、微かに電車が線路を鳴らす音が聞こえました。家の外からは虫の声も聴こえていました。夜に電車の音が微かに聞こえたのは、周りが静かだったからでしょう。
「電車が走る音がするから、午前0時は過ぎていないのかな・・・」なんてボンヤリと思っていた時です。
さっきまで耳に入って来ていた音という音が一切しなくなり、自分の周りが完璧にシンと静まりかえりました。「あれ?凄く静かになった。何も聞こえない・・・」と思ったその瞬間!
ガチッ!と身体中に大きな力が加わったような、空間ごと押さえつけられているような感じで、身体がガチガチに身動きが取れなくなりました。
これには本当にびっくりして動揺して、同時に物凄い恐怖が一気にドッと押し寄せて来ました。私はそれまで、一度も金縛りにかかった経験がなく、今後一生かかることもないと思っていました。「これって、怖い本に出てくる『金縛り』っていうやつなんじゃないの!?」と思うと、もう怖くて怖くて、その状況から逃れたくて、動かない身体とは正反対に脳は物凄いスピードで逃れる方法を考えていました。
「確か、目を開けちゃいけないって誰かが言ってた」「解けない時はどうしたらいいんだろう?考えて、考えて!」そして、ほんの一瞬だけふっと金縛りが解けたような感じがしたのですが、それは瞬間的なことで、また今度はさっきよりも身体が硬く固まるような金縛りにかかってしまいました。
恐怖感はもうマックスです。「怖い、怖い、怖い!助けて!助けて!」その時、動けないのであれば、声を出そうと思いました。
初めは声を奪われてしまったかのように、呻き声を上げることさえ出来ませんでした。それでも、全身の力を振り絞って喉に力を入れて声をお腹の中から絞り出そうと懸命でした。うーーーーーーーーーっ!とお腹と喉に力を入れていたら、しばらくしてふと喉が緩んだ感じがして、小さな声だった呻きがやっと「うーーーーーーーーーわーーーーーーーーーっ!!!!!!」と大きな声に解き放たれ、同時に金縛りが解け、隣で寝ていた友人が、私の声に驚き飛び上がりました。
「どうしたの?夢でも見たの?」と聞く友人に、もう怖くてここには居たくない。帰りたい。帰らせて。車を運転するのが大変だったら、タクシーで帰る!と泣きながら懇願したのですが、夜も遅いし、きっと夢を見たんだろうから、朝になるまで待って。朝になったらすぐ送るからと説得され、納得出来ないまま、友人の隣でベッドの中で身体をカチカチに強張らせ、警戒し続け、一睡も出来ないまま朝を迎えました。
長い夜の間ずっとずっと耐えていた私は、朝食を一緒に取る余裕も無く、家まで送ってもらいました。
そして、それから当分はもう彼女の家には行くまいと固く決心しました。彼女は何度か「また泊まりにおいでよ」と誘ってくれたのですが、あの恐怖の夜以来、昼間の明るいうちに遊びに行くことはありましたが、夜に彼女の家で過ごすことはしませんでした。それに昼間に訪ねても、以前は何とも感じなかった、落ち着いたトーンの木材でまとめられているリビングですら気味が悪く感じてしまい、長く滞在することが出来なかったのです。
そうこうしているうちに私は日本に帰ることになりました。オーストラリアが大好きで、もう日本には帰るまいと一大決心をして出て来た私。帰国しなければならない状況に悲しくて悔しくて仕方がありませんでした。
その錯乱した状態は、心配した友人がオーストラリアまで迎えに来てくれた程です。
泣く泣く日本に帰国した時、私を待っていた状況はマイナスのことばかり。貯金も、わずかなお金もない、保険すら解約してしまった。仕事もない、パソコンもない、日本を出る時から関係がこじれていた母とは更に関係性が悪化。渡豪前に使っていた部屋は物置にされていて、ベッドは捨てられ、家の至る所に母からの文句や、自分を咎める張り紙が貼られていて、居場所も心が休まる場所もないと感じる状態。
一念発起して一度は日本を出て行った影響からか、仕事を探そうという気力が全く起こらず、食欲も無く、嫌な現実から逃れたい一心でお酒とタバコを貪る日々。帰国してわずか1週間ほどで、体重が7キロほど落ちてしまいました。
何にも希望を持てず、何も楽しいと感じられず、やる気も湧かず、失った日々にすがりつく毎日。ポジティブな感覚も感情も一切感じられず、当時空を見上げたときに「人生が灰色という状態ってこのことなんだ」と初めて実感しました。自分の目に飛び込んで来る世界に、全く色を感じられないのです。見渡す限り、灰色の死んだ世界が当時私を取り巻く世界でした。
その頃、常に私の心を占有していたのは「死にたい」という感覚でした。口から出てくるのは深い、まるで黒煙のようなため息と「死にたいなあ」という言葉だけになりました。
オーストラリアで知り合い帰国の時にオーストラリアに迎えに来てくれた友人は、何という偶然か、同じ路線のわずか数駅先の駅に住んでいました。
頻繁に会ってくれる彼女は、私が何をしていても、彼女が何を私に話しても「死にたいなあ」しか言わないことに危機感を覚えていました。
そしてついに「ねえ、みきちゃん、私の友達の〇〇さんがね、この間紹介で陰陽師に視てもらったんだって。私も詳細はよく知らないんだけど、他にも知っている友達が何人か視てもらっている人だから、もし良かったら、その人に視てもらったどうかな。」と提案してくれました。
私は全てのことに全くの”無関心”でしたが、どっぷりとハマっていた絶望の底から、自分だけの力では這い上がるのはもう無理だとだけは感じていました。「死にたい」という思いはあれど、心の深い奥の底の方では「助かりたい」というわずかな思いがあって、そのわずかな部分が私をこの世界に踏みとどまらせていて、それで何とか毎日を生き延びている、そんな感じだったのです。彼女の提案に、「うん、分かった。じゃあ、まあ、とりあえず行ってみる」とほぼ無関心の状態のまま、彼女から陰陽師という人物の連絡先を教えてもらい、その日は家路につきました。
帰宅してから試しに教えてもらった番号に電話をかけてみました。友人曰く、かなり当たる陰陽師なので、すぐ予約が取れるかどうか分からないし、すぐ連絡がつくかも分からないということだったのですが、運が良かったのか、すぐに受話器の向こうで誰かが応答してくれました。
そこで私が希望の日にちを伝えると、夕方に予約枠が空いていますということだったので、その日に伺いますとお願いし、電話を切りました。予約日は、電話をかけた日からわずか数日後のことだったと思います。
面談当日。予約時間の1時間以上前に現地近くにバスで到着し、遅れることの無いように場所を確かめました。その場所は某有名な大学病院の向かいにある古い小さな雑居ビルで、面談場所はどうやら最上階のようです。
ビルの1階には喫茶店(カフェではなく昔ながらの喫茶店)があり、私はそこで予定の時間まで待機することにしました。その時、何を頼んだのか、何をしていたのか覚えていません。多分、何かを飲みながら何もせず、とうとうと考え事をしていたんではないかと思います。
予定の時刻になり、エレベーターで最上階に向かいました。エレベーターのドアが開くとそこは、カウンターだけのカフェバーのようなスペースでした。女性が1人奥から出て来て声をかけてくれたので用件を伝えると「ご案内するまで、少々お待ちくださいね」と、ひとつの席に座るようにうながし、カウンターの後ろへ戻って行きました。
しばらくして「お待たせしました。ご案内しますね。その屋上に続く引き戸を開けて、外へどうぞ」と言われ、飛散防止の針金が入った曇りガラスの昭和感満載の引き戸を開けると、あまり広くない屋上に小さなプレハブ小屋が建っていました。面談はそこで行うと言います。
プレハブ小屋のドアをノックすると、中から男性の「どうぞ」という声が聞こえました。「失礼します」と入っていくと、目の前には20代半ばか後半と思しき男性が、ひとつの机を挟んで座っていました。ごくごく普通の感じの男性で、目の前に座った私に「ではここに、名前と生年月日を書いてくださいね」と、1枚の白い紙を示しました。
後日分かったことですが、霊能者の方や、陰陽師、サイキックと呼ばれる方はみなさん、いつでも自由に誰も彼ものことを霊視するわけではないそうで、相手の名前、生年月日で個人として特定化し、そこで初めて霊視のスイッチを入れるということです。
私が名前、生年月日を書き終えると「それで、今日はどうなさったんですか?」とその男性が口火を切りました。
私は自分を取り巻く暗黒の世界というか、混乱の状況と、同じように錯乱している自分の頭の中をどこからどう説明して良いものか分からず、なんとかこう答えました「えっと、実は毎日死にたくて仕方がないんです。自分ではどうすることも出来ず、それで仲の良い友人がここに来るように勧めてくれて、今日参りました」
すると陰陽師の方は「そうだよね、オーストラリアで怖い思いをしましたもんね」と、私がオーストラリアのオの字も出さず、何も関連したことを語る間もなく、あの夜の恐ろしい出来事を示唆したのです。
これには本当に驚いてしまい、私は暫く言葉を発することが出来ませんでした。驚いている私に陰陽師は更に続けます。「あなた、連れて帰って来ちゃったんだよ。相手は悪気はないんだけど、あなたを向こうに連れて行こうと思っているみたいよ」と。
相手とは霊のことで、私を連れて行こうとしている「あっち」とはあの世のことだろうと私にも想像がつきました。私は、あの金縛りがあった友人の家に行くのを止めたことで、恐怖の夜の出来事はもう終わったことで、恐ろしい体験も一時的なものだと思っていました。
でも、実際はあの日がスタートで、それから私には、どこの誰かも分からない「見えない」存在がついて来ていたようです。
陰陽師が説明してくれたところによると、その霊は女性の霊で、友人の家の前で交通事故に遭い亡くなったのだと。その家に頻繁に遊びに来ていた私とある日、波長があったのか、それから日本までずっと憑いて来たというのです。
陰陽師は続けます「あなたをここに来るように仕向けてくれたのは、あなたのおばあちゃんなんだよ。おばあちゃんは孫のあなたを助けてあげることもどうすることも出来ず、困っていたみたい」
そうして陰陽師は「とりあえず、このままではマズイから取ろうか」と、人型の半紙を用意して、私に手を合わせて目を閉じるように指示をしました。「これから、あなたに憑いている人に話をするので、あなたは何も考えず、静かに目を閉じていてくださいね」と言われ、彼が私には見えない誰かに色々話しかけている間、注意深く耳を傾けていました。しっかり聞いていたつもりだったのですが、今となってはどんな質問をしていたのか思い出せません。思い出せるのは、彼の質問に対して答えるのは霊である女性なのですが、実際は私が頷いたり、首を振ったりして回答しているという驚愕の状態です。
自分に言われていることではないのに、私はなぜか途中で涙が止まらなくなり、ずっと泣いていました。
しばらくして「もう目を開けていいですよ」と声をかけられ、合わせていた手を解き、目を開けてみました。その時の感覚は、「ちょっとスッキリしたかな?」という感じで、激しく大幅な変化を感じるまでではありませんでした。
それから陰陽師は、仕事のことや、こじれている親との関係などに耳を傾けて、アドバイスをくれ「少しづつだけど、これから物事が良い方向に行くから大丈夫。少なくとも、もう死にたいとは思わないと思うから、安心して」と送り出してくれました。
その日を境に、私には少しずつ日本での生活を整えようと行動する気力が生まれて来て、久しぶりに会った友人から「この間仕事で行った旅行会社が求人出してたよ。もしかしたら、もう締め切ったかも知れないけど、もし良かったらホームページ見てみたらどうかな?」と勧められた会社に応募し、確かに締め切られてはいたものの、面接などを受けることが出来、仮採用になり、結果的に仕事につくことが出来たり、
もうぐちゃぐちゃにこじれて、お互いに憎しみあっているような状態だった母親とも、私の中で申し訳ないという心境の変化が起こったので、改めて私の方から渡豪当時と帰国してからのことを説明し心から謝罪をすると、まるで鬼の仇を扱うような母の表情も和らぎ、咎め責め立てる言動も無くなり、関係性が良好になりました。
あの日陰陽師が言ってくれたように、急に180度一気に変化が起こるのではなく、少しずつ日常が変化し、数ヶ月経ってようやく穏やかな日々がやって来ました。
あの日から、私は一度も金縛りにはかかっていません。
状況から鑑みて、止む無く帰国が決まったり、人間関係や手放したくない環境に執着する私の気持ち、精神状態が、友人宅前で悲しくも命を落としてしまった女性の霊を引きよせてしまったのでしょう。
私が経験として言えることは、霊に憑かれているのは、私本人では全く気がつくことが出来なかったということ。言い表せる微妙な変化は「死にたい」という気持ちに支配され、身の回りの環境や状況がどんどん悪い方向に落ちていくということぐらい。
あのオーストラリアでの出来事から20年あまり、私はひょんなことからとても酷似する話をマンガで読む機会がありました。そのストーリー、登場人物は実在の人物であり、実際に起こった出来事を元に描かれていて、主人公である霊能者の方の頼もしさや、彼女が語る不思議な世界の出来事、注意点などが、20年ほど前の私に起こった出来事を補強するようなものでした。
このマンガに出逢ったことで、当時の私には理解出来なかったこと、消化できなかったこと、疑問として残っていたことが払拭され、さらに不思議な現象を理解することが出来ました。
同時に、友人や、陰陽師、亡くなった祖母など、自分に手を差し伸べ救ってくれる人たちがいることに、心から深く感謝する気持ちが新たに湧き上がって来ました。
霊に取り憑かれるなんて全ての人に起こる出来事ではないけれど、私には一生忘れられない鮮烈な思い出として、心と脳裏に刻み付けられました。
この話は、私がなんとなく忘れてはいけないように感じ、また、もしかしたら誰かの役に立つかも知れないと思い、書き留めることにした実際の出来事です。
Comments